お梅 - 島津亜矢(しまづあや)
発売日 - 2002年12月18日(平成14年)
作詞:志賀大介 作曲:村沢良介 翻訳:永和陳伯伯
戻れない… 戻らない… 不能回去…不想回去…
時の流れに 棹させば 逆著時代潮流掌舵的話
女の時間は 止まるでしょうか 女人的時間會停止嗎?
浪に千鳥の 浜町河岸に 水波浮載著千鳥的浜町河岸
誰が 誰が架けたか 是誰架起了
なみだの橋 淚痕之橋
お梅運命の… 恋に泣く 阿梅命運之橋…為愛情而黯然哭泣
(セリフ)「巳之さん すまない 「巳之先生,對不住
堪忍しておくれ… 再忍耐些吧…
太夫の襲名披露が終わったら 名角的襲名介紹結束
巳之さんの所に戻るつもりだった… 就打算回去巳之先生你的身旁
所詮この世界は一幕物の夢芝居 今生今世終究是一場夢戲
これで梅のひとり 如今阿梅的獨角戲
芝居も終わったのさ…」 也落幕了…」
なぜ泣くの… なぜ泣かす… 為何哭泣?為何讓其哭泣?
道はふたすじ あるけれど 欲行之路有二道
心も迷いは もうありません 但我不再迷惘
義理の川風 人情の夜風 義理的河邊風,人情的夜間風
乗せて 乗せて流れる 乘載著它隨波逐流的
もやい舟 繫船
お梅しぐれる…ほつれ髪 阿梅披散著髮,淚水哭盡
(セリフ)「唐紅のおんなの性が 紅透透的女人心
二つの枝に狂い咲き… 花開二蕊的樹枝
あぁー梅はもう思い直すことは何もない 啊啊!阿梅我已不再有任何留戀
身を清め 髪を結び 此身已淨,梳髮裝扮
紅 白粉の旅支度… 準備往死路去的旅程裝束
せめて せめて こんな女がいたことを 至少,至少記得像我這樣的女人
覚えていて下さいね… 曾在此世吧!
楽しかった太夫との思い出を心に秘めて 於心中秘藏快樂的回憶
梅はあの世に参ります 阿梅要往另一個世界去
あぁー あの人の舞台の幕が開く…」 啊啊!那人的戲碼要開幕了…」
夢ですが… 夢なのね… 夢喲…夢吧…
浮かれた浜町 三味の音に 歡樂的浜町,似初三月眉的
三日月眉毛の 柳が曇る 柳樹在嗚咽著
明治一代 悲しく燃えた 明治一代,悲傷然燒的
恋の 恋の火玉は 愛情、愛情的火球是
何処へやら 不知往何處去
お梅泣かせ… 隅田川 讓阿梅哭泣的隅田川
…津の国屋ぁ―… 津之国屋啊!
小戴無忌集:
『お梅』是島津亜矢的歌曲,島津一向喜歡演唱故事性強的歷史人物,尤其是帶有悲劇命運的女性,此曲於日本公信榜(オリコン)最佳成績為第60位,此曲標題人物お梅係指花井お梅,花井お梅出生於1863年,卒於1916年,既是美人藝妓,又犯下殺人罪嫌,如此傳奇的一生,成了各類戲劇的最愛。花井お梅本名ムメ,是佐倉藩下級武士專之助的女兒,9歲時被賣為養女,15歲時於柳橋成為藝妓名為小秀,18歲移往新橋改名為秀吉,お梅雖生得端正秀麗,但脾性卻是相當好勝、酒品也差且易於與人起衝突,1888年6月9日 夜晚お梅時值25歲,於浜町河岸刺殺峰三郎,峰三郎於逃命當中死亡,お梅的父親攜其自首投案,一時之間「美人藝妓殺人案」的新聞訊速傳開,至於殺人動機,據說是一時衝動,最後お梅被判無期徒刑,服刑期間其一舉一動皆成為新聞,15年後假釋出獄,1905年,「刺殺峰三郎」成了巡迴各地表演的戲劇,1916年お梅53歲,重回新橋作藝妓,取名為秀之助,同年12月13日 ,因肺炎病逝於位於蔵前片町的精研堂病院,享年53歲。1935年由大師藤田まさと作詞的流行歌「明治一代女」,正是以お梅為藍本。至於以花井お梅為主角而拍攝電影也相當多部,如1922年及1926年由松竹蒲田撮影所拍攝的「花井お梅」,分由川口吉太郎及吉野二郎執導;1929年河合映画製作社出品由丘虹二執導的「花井お梅」;1935年日活多摩川撮影所出品由田坂具隆執導的「明治一代女」;1955年新東宝出品由伊藤大輔執導的「明治一代女」;及1959年大映東京撮影社由衣笠貞之助執導的「情炎」等等。
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